Hatenaな訳

知識交換を目的にブログを書くことにしたの良いとして、なぜHatenaを選んだのかである。

世に多くのブログやSNSなどの日記の機能を持ったサービスが存在する中にHatenaDiaryを選んだのか。

そらは、当然といえば当然だが「知識交換に最も有効な機能を持ち、更に今後ともその機能を伸ばしていく将来性がある」と考えたからである。
以下に知識交換に必要と思われる要件は以下の3つである。


①ビジョンの方向性
これは、コミュニティにおけるビジョンが、私の考える知識交換とHatenaが一致しているということである。Hatenaに存在するサービスとして、人力検索などは当に知識交換を具現化し、そこに存在するボランティア性というものをポイント制という経済性の導入により、より垣根の低いものとしたことは、非常に興味深い。
ボランティア性というものを知識交換には欠かせない。むしろそのボランティア性の発揮に価値を見いだすことが前提となるのだ。しかし、まだそのボランティアというものに未だ親しみのない我々にとってはポイント制という経済性の導入はよりこれまでの私たちに親しみやすいものにしてくれたと考える。
この様なサービスを生み出すHatenaであれば、私の考える知識交換の場として有効であり、将来的にも有効なサービスを生み出してくれるものと考えたからである。


②オープン性
オープン性には非常に異論があるところである。確かに過度なオープン性は炎上などの問題が存在し、匿名性という主体性、Identityの不完全性から、リアルの場では到底行わないような
言動が安易に行われてしまうことがある。
しかし、現在のネット社会は未だ草創期、といってもよい状況である。誰としてこれまでの十分な主体性の情報にあふれていたリアルな世界でのコミュニケーションから、不完全な主体性情報のネットの世界におけるコミュニケーションの教育を十分に受けたわけでなく、経験もない。
そのような状況では、この様なある意味、場の混乱とも言える状況が起こることは仕方ない。それをふまえた上で情報を蓄積し、知識交換を行って行ければよいのだ。

そのように考えると、知識交換には十分なオープン性があった方が、より多くの主体とのコミュニケーションの可能性を持っているために有効であると考える。
その点では、SNSのオープン性の制限は知識交換においては足かせとなると考える。確かに、信用のおける主体との効率的な知識交換を考えるのならばある程度のオープン性の制限があった方が良いのだろう。

しかし、それは既に分野や範囲の確定した専門性がある分野の場合である。私は、未だそのような専門性を持たず、新たな知識の交換のあり方を考える場としては、よりオープンな場を選んだと言うことである。


③検索性
googleが世界的に当に覇権を握り注目されているように検索というものは、情報化社会において最も武器となるものの一つである。デジタル化は情報の蓄積をほぼ無限に可能にし、また複写のコストがほぼ0であることは、デジタル空間におけるデータの無限の増大を可能にした。
それにより、私たちは情報洪水におぼれ、時間的コストの制約を大きく受けるようになる。そのため、いかに自分が欲しいときにより有効な情報を提供してくれるかが非常に大事な機能になるのである。

その中でもHatenaの検索性はその統合性において非常に優れいる。Wikiの様な辞典機能にというか、keywordに関する検索の連動性が優れている点は知識交換においては非常に有効である。
確かに、通常の日記形式においては、そのような検索機能の連動はむしろオープンになりすぎるなど、不利益な面が多いが、知識交換においてはその、モジュール化というか、オブジェクト指向(今一よく理解できないので知らない)的なものが有効と考える。


以上の3点からHatenaを選んだのである。

で、知識交換の基礎にしたい卒論がまだできていないので、さっさとまた卒論に戻ります。。